ココロコロコロ -20ページ目
<< 前のページへ最新 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20

言い訳

その人に何かを話そうとすると
全部が言い訳になってしまうような気がして
何も話せなくなる。

大きな長い嘘をついた。
嘘をつかなければ始まらなかった。
だから嘘は必然だった、などと言えるわけでもない。

当たり前だけど、嘘をついたままで続かなかった。
かといって嘘を止めたとしても続かない。
嘘をついて傷つけた事実は変らないからね。
どっちにしたって終わるだけなんだ。

心が壊れたよ、とその人は言った。
私が壊したんだね。
何よりも大事にしたかったその人の心。
失いたくなくて泣いたけど、心はもうみつからないね。

私の心はどこに行ったかな。
その人にあげたかった心。
他に何もないけれど、心だけが私にあったんだ。
その人が大事にするよって言ってくれて
受け取ってくれた心。

返されても困るよね・・・。

さばいちの法則

お若い方々にはピンと来ないかもしれませんが
妙齢の、特に女性にとっては
「年齢のサバ読み」と言うのは、非常にデリケートな問題です。
ガバッと多めに削って言ってみたところで
「あら、そんなにお若かったんですか?」などと言われたら
かえって傷ついちゃうってもんです。
むしろ、実年齢より高めの年齢を言って
「あら、とても、そんなには見えませんことよ」とでも
言って頂いたほうが、ずっと気はラクなんですが、
なかなかそこまでは悟れないのがカワイイところです(笑)
で、「さばいちの法則」というのがあります。
サバ読みの限界は年齢の一割ぐらいが適当なのよん。
ハタチのお嬢さんなら「18才なんですぅ、うふ♪」までは
なんの疑問もなく受け入れられるけど
「16才なんです・・・でへへ」ってのは
言ってる本人も恥ずかしかったりするのです。
還暦のご婦人なら「もう、54才ですのよ、おほほ」ってのは
世間も許すのですが
「こう見えても48才ざーます。」ってのは
あーもうボケちゃったのねぇ、かわいそうにと言われそうです。
40才ならそう・・・「もうすぐ、36才になちゃうのよん」
あたりが心の平静を保てる数字でしょうね。
「えっと、32才くらいだったかしら?」あたりまでやると
そうは見えないぞ、ずーずーしいやつだなっと突っ込まれます。
前回の選挙の時に、
NHKとFMヨコハマの出口調査に会いました。
ささっとアンケートに鉛筆を走らせていたのに
年齢欄でふと手が止まる・・・。
こんなとこで、サバ読んでも仕方ないのにねぇ。
哀しい性ってやつ?(笑)
あと、ものすごーく気になってるのが
コンビニのレジ。
なんでも、「年齢」を入力してるとかしてないとか。
コンビニって、ついつい「すっぴん」で出かけたりするから
たぶんに事実に近い数字が入力されてるだろうなぁ。
イヤ、別にだからといって、人生に影響を及ぼすってワケじゃ
ないんですけどね、ないんですけど・・・・(泣)

客観視

自分を客観視するのはむずかしいです。
ワタシって○○なヒトなの~などとほざく
自己中心的な方は論外ですが。
人からはこう思われているだろうな、という判断は、自己評価によって狂いがちです。
往々にして、人はそれほどワタシに関心がないってことも忘れがちですし。

時に人の自意識を垣間見てしまって
ワタシの中の人物像との相違に
あらー、この人は、そーゆーツモリだったのねー
と、びっくりしてしまうこともあります。
ワタシの評価としては
「優柔不断で自己が確立してない甘えたヤツ」だったのに、
どうやら、本人のイメージでは
「優しくて人に気をつかってばかりの思いやりのある人♪」だったりする。
「生意気でがさつで小賢しいヤツ」が
「アタマが良くてさっぱりとして誰とでも仲良く出来る♪」って思い込んでるし。
「要領が悪くて鈍くさいヤツ」は
「何事もひたむきに一生懸命な頑張り屋さん♪」なんだな。
・・・アタシの見方が偏ってるのか?(笑)

いやいや、そうではナイ。
美点と欠点は背中合わせなのだ。
長所は短所足りえる、逆も真なり。
だからといって、自己評価を厳しくすりゃ良いってもんでもない。
卑屈な「どうせ・だって・でも」の鬱陶しいヤツになっちゃう。
自分を認められないようじゃ困るでしょ。
良い悪いという判断でなく
特性としての自分を客観視できればいいんだけどね。
ワタシはまだまだ悟りきれてません。

おしごと

派遣でビジネススクールの講師やってます。

主にマナーとかそういうの。
楽しいですよ・・・。

うそつきな自分にぴったりなお仕事です。
自分の中の非常識を隠して、常識的にふるまったり
人見知りとか人嫌いとか言わないで、社交的に見せたり
暴言や罵倒の言葉を呑み込んで、優しく話してみたり。

仕事だと割り切ることで
自分らしさとか、そんなこだわりを忘れられるのがいいです。
もしかしたら私って自分で思うよりイイヒトかも~なんて
うっかり自分さえ騙せてしまいそうな気もします。


気のせいですよね・・・。

あいでんてぃてぃ

人は自分以外の人間に対して
ほんとはとっても無関心じゃない?
でも、自分を確認する為に
誰かからの干渉が欲しかったりするの。

ワタシの存在を認め賛辞してくれる誰か。
ワタシがワタシであるだけを
ワタシがワタシであるだけで
慈しみ焦がれてくれる誰か。
ワタシがワタシであるがゆえ大事に思い、
ワタシがワタシを愛するがごとくに許せる誰か。
丸ごとのワタシを認めてくれる誰か。
ワタシのなりたいワタシを知っている誰か。

私は、そんな恋人が欲しいのだ。
自分の理想を相手に押し付けるのでなく、
相手のそうでありたいという生き方を
受け入れて支えになること。
自分がこうあって欲しいと思う人間じゃなくて
相手が自分でそうありたいと望むような人間を
私が喜んで認められる相手を探している。

そしてワタシは言って欲しいのだ。
居るだけでイイ。
居なくなると哀しいと、ただそれだけを。
他の誰かじゃなくワタシなんだと。
寒い雨が降る秋の夜。
他の誰もが自分より優れているようで
私以外の誰かならもっとうまくやるだろうと
自分の存在意義を感じられず落ち込んだりしてる。

矛盾が多すぎて
嘘が多すぎて
あきらめなければいけない恋がある・・・。
<< 前のページへ最新 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20