ココロコロコロ -16ページ目

大人になりたい

大人になりたいって思ってます。
もっとも「大人」という概念はひとそれぞれでしょうが・・・。

例えば「自由」。
自由であることは自分で責任をとれるということ、それが大人です。
野放しの好き勝手を自由と呼ぶのは子供です。
例えば「人間関係」、恋愛でもいいけど。
大人は自制も我慢もするんです。
言いたい放題で感情に任せた行動をとったりしません。
ありのままの自分とやらを相手に押し付けて
うまくいかない関係を相手のせいにするようなことはしません。
なーんてね・・・。
あんな大人になりたいなぁと思えるような人が少ないですね。
「少年の心」とか「少女の気持ち」とかをウリにする人はいるけど
単に無責任な自己満足だったり傍若無人な独りよがりだったりするし。

人間関係ってイキナリ構築されるもんじゃないよね。
出会った瞬間に意気投合ってのもまぁあるかもしれないけど
それでも時間をかけて育っていくモノだと思う。
その「育てる部分」がおざなりになってることが多くない?
恋愛や結婚だってさ、はじめっから完全無欠のパートナーなんて
見つかるわけないし、せっかく一緒になれたんだから
より良い未来とかを目指すべく関係を育てる努力はしなきゃ。
自分だけはのほほんと「なちゅらる」をきめこんで
相手の至らなさを責めるだけじゃ関係の破綻は見えてるよね。
何も相手に合わせて自分を変えろとか演技をしろとか
表面的な技法を言ってるわけじゃないよぉ。
お互いに相手に気持ち良くあってほしいと思っていれば
自然に歩み寄るのが思いやりってもんじゃないかなぁと。
相手が喜んでくれることをしたい。
それと同時に相手の嫌がることはしたくない。
相手を悲しませたくない。

ワタシがつまんないワガママや勝手を通すことで満足を得るより
相手が不快になることを哀しいと思えるようになりたいのです。
自然で居られる・・てのとは違うけど
その人と居るとイイヒトになった気がする、そんな感じがいいな。

羨ましいから?

自分に出来ないことをやってるヒトがいて
それを無理に否定したりつっかかってみたり
そう、この行動の裏には
「実は羨ましい」ってのが隠れていたのかもな・・・。

人は人、自分は自分・・・。
言うのは簡単だけどな~。
達観の境地は遠いぜぃ。
なにもかもが中途半端な自分、
自信なんてないよね。(あったらそれは過信か・・・)
自分を肯定するために他を否定するなんざ
みっともない情けない申し訳ないっ。

人の幸せを喜べないワタシは幸せじゃないね。

重さの単位はニュートンじゃない

重すぎて、自分のPCでは表示出来ない状態らしい(汗

そう言えば、PCってパソコン一般を指す用語ですけど
アメリカではMACPC含まれないんですよね(笑
ワタシはMAC使いなのですが「自分のPC」って言う度に
元彼に「え、MACでしょう?」って聞き返されたものです。
通じればいいじゃん・・・ウルサイよ(泣

ところで、馬力のワット換算とかピンと来ないんです。
規格が統一されるのはイイコトだとは思うのですが
慣れ親しんだ単位ってありますよね。
まぁ、体重とかあえてキログラムで言わないってこともありますが(笑

ワタシ神経質なヒトなのぉ~?

自分のことを「神経質」だと言う方、多いですよね。
些細なことが気になっちゃう神経の細かい人ってことですね。
気にしなきゃいいじゃないと言われても
気になっちゃうから苦しいのですよね?

でも、時に「自称神経質」な人っていますよねぇ・・・。
神経質の名を借りて、言いたい放題しちゃう無神経な人。
自分の価値観とそぐわないからといって
相手を罵倒するのは大人じゃないなぁ。
「ワタシ神経質だから、耐えられないっ」とばかりに
相手を批判するのは、無神経だと思いませんかぁ?
神経質な人は本来思考も細やかなので
自分が気にしてしまっていることを相手に悟られないように
気づかなかったフリのひとつもしてみたりするもんなんだよ(笑)

自分自身を神経質だと言って悪びれないような人って
やっぱ無神経だなぁ~って思っちゃうよねぇ?

わたしはだぁれ?

「自己紹介は難しい」ですね。
必要以上に謙ってみたり無理な見栄を張ってみたり。
自分がナニモノなのか、実は自分でもわかっちゃいない。

「ほんとのワタシをわかって・・・」
というのはシバシバ耳にする言葉なのですが
さて、ほんとのワタシとは?
インチキ占い師になるには
「アナタは○○にみえますが、ほんとは××ですね」
と言えば良い。
だいたいの人が「あたってる」と答えるだろう。

今の自分は仮の姿。
「こんなはずじゃない」という思いは誰もが持ってるのでしょうね。
ホントの自分=成りたい自分
そんなとこなのかもしれない。

張った見栄に追いつくために努力するのもいいじゃない。
だって・どうせ・でも・そんな言葉はやめて、
成りたい自分になるための毎日を送りましょう。
自分で探すホントの自分。
それを成長と呼ぶのかもしれませんね。
ワタシはまだまだ成長出来る(はず)。
未完成であることを恥じることなく
未来の希望へと繋げていけたらと。

自己紹介が過去の出来事だけじゃなく
未来の期待も含んでいると思えば
まだまだ発展途上の自分に臆することもないのかな。