ココロコロコロ -19ページ目

フタマタカケテステラレタ

書いてみたら新しい感情に気がつきました。

憎い!

うん、きっとこうやって忘れていくんだ。

寂しくってきっと死んじゃうって思ったけど 普通に生きてるし(笑)
時々ふいに高まる感情を静めるために
だいじょ~っぶだよって自分を慰めたりしながら
「良い思い出」とかに変えていけるようになるんだろうな。

塩野七海の「マキャヴェッリ語録」を思い出して読んでみた。                     
                     >>以下【引用】

>>自らの権威を傷つけるおそれのある妥協は
>>絶対にすべきではない、たとえそれを耐え抜く自信があったとしても
>>この種の妥協は絶対にしてはならない
>>もしも正面衝突を回避したい一心で
>>譲歩策をとったとしても結局は回避できないからだ
>>なにしろ譲歩に譲歩を重ねたところで
>>相手は満足するわけでもなく
>>それどころか相手の敵意は
>>あなたへの敬意を失ったことによって、より露骨になり
>>より多くを奪ってやろうと思うようになるのがオチなのだ

政略論からの引用なんですけどね。
愛とは戦いだ!(うそ)

彼が他の誰かを気にしていることを知ったときに
(というか、正直な彼は自分で言うのだが・・・)
ワタシは自分の感情よりも世間知を優先させた。
いい女のフリをしてみたかったのだ。
「そんな女など気にしてない」
「ワタシほどの女はいないはず」
「彼はワタシの元に帰って来るわ」
わけのわからない三段跳び論法で、自分を納得させ
表面上、彼をシェアすることを容認するような行動に出てしまったのだ。

強がりは続かないもので
後になってなりふり構わず、彼に「選択」を要求し
そして見事にはじけ飛ぶまで ずっと苦しい日々だった。
そう、無駄な苦しみだったな、と思う。
二人の関係はもうずっと前に終わっていたのに・・・。

正直に言えば、未だに混乱してるのだ。
あり得ない「もしも」に期待してるのだ。
「やっぱり間違えてたよ、君が最高さハニー!」とか言って
彼が帰って来たらいいなとか。
彼がとても不幸になって悲しみの中でワタシを思い出せばいいなとか。
終わった恋を認められないでいるのだ・・・。

これが人のことだったらよくわかる。
バカな女だなって笑える。
もっともらしいアドバイスだって出来ちゃうだろう。
(当事者には聞く耳はないのだけれど。)

自分のことになると、見えなくなる。
冷静なフリした分析さえ意味がない。
「嫌だ」「悲しい」そんな感情だけがある。
だから憎いと思って忘れることが出来るなら
迷わずそれを選択しようと思う。
いつか、なつかしく優しい気持ちで思い出せる日まで・・・。

ことばのかべ

恋人はアメリカ人でした。
過去形ですね。

この場合
彼はアメリカ国籍を失いました・・・ってことじゃなく
もう彼は恋人ではありません・・・って言うことですね。
説明するまでもなく(笑)

言葉は難しいです。
恋人はアメリカ人だと言うと
「じゃぁ英語ペラペラですねぇ!」と言われますが
とんでもないことでございます。
二人の会話は 彼の卓越した言語能力のおかげで
「日本語」メインで進行しておりました。
誰でも経験があるのではないかと思うのですが
翻訳機械などで文章を、日本語→英語→日本語と変換すると
出て来た日本語のめちゃくちゃさに脱力しますよね?
こんな日本語、意味わからないっって。
ワタシの英語はそういうレベルでしかないのです。
彼は、日本語で思考して日本語で話すということが出来ました。
二人の会話をアメリカ人の第三者に伝えるときに
自分が話した日本語の「英訳」に苦労してしまうってくらいに。

例えば「やましい」っていう日本語があります。
漢字で書くと「疚しい」。
英訳だと「guilty」ですが「guilty」の和訳は「有罪」。
疚しい=有罪・・・ではないですよね。
その微妙なニュアンスの違いを英語で説明することは ワタシには不可能です。
そして「ニュアンス」という単語が
日本語としてどんな意味なのか、ってことさえ彼は理解してました。
「日本語が難しい、特にカタカナの言葉が!」と(笑)

ワタシと彼は文字で笑う時に 「うふふ」という言葉を共通で使っていました。
それは日本語がまだ上手に使えなかった頃の彼に
ワタシが仕掛けた罠だったのかもしれません。
ある時から彼はそれを「ふふ」と打つようになり
ワタシは二人の終わりを知りました。
誰かが彼に「その笑い方はおかしい」と言ったこと。
彼はその言葉を疑いもなく受け入れたこと。
まぁ、悪い日本語で言えば
「二股かけて捨てられた」ってことを知りました。

英語には女言葉とか男言葉とか存在しないですね。
日本語だからこそ出来る多彩な表現は難しくて、とても面白い。
底の浅さが露呈しすぎないように気をつけつつ
細々とプログを書き続けていこうと思います・・・。

同情するなら

ちとなつかしめですが
ハイローズの「青春」ハマリ歌なんです。
一番好きな部分が
「心のナイ優しさは敗北に似てる」って歌詞。
ワタシは「王様の優しさ」と表現してますが
一段高みから見下して優しさ擬きを振りまくって行為の
鼻持ちならない傲慢さが大嫌いなんです。
大変ねぇ・・・(ワタシじゃなくて良かったわ)
がんばってね♪(ワタシってばなんて優しいの)
力になりたいわ(ワタシは何もできないけどね)
()内は偏見ですが^^;
同情されるのは我慢できない。
これをプライドと言うのでしょうか。
ツライとか苦しいとか言いたくない。
恨まれたり反感買ったりするほうがまだまし。
かわいそうなんて言われたら消えたくなるよ。

同情の恐ろしいところは
相手が這い上がって自分と同等以上の立場になったら
途端に攻撃側に変わるヤツが多いってこと。
他人の不幸に同情は出来ても
他人の幸福には同調出来ない。
そんなのが優しさであるワケないじゃん。

世の中には優しさ擬きの偽善者が蔓延ってる。
後先考えない感情論を振りかざして
能天気な自分の行動に酔っている。
とんだお気楽な幸せ者だな、めでたいヤツラだ。
と、切り捨てる事も出来ずに
・・・時々弱ってると、それが欲しいです、ワタシ。

「同情するなら金をくれ!」
名台詞だよなぁ。(これも古いですが)
見下された立場に甘んじず堂々と必要なことを要求する。
毅然としてるな。
気持ちが同等じゃなければ優しくなんて出来るはずない。

どんな場所に立っていても
変わらずに優しさを持ち続けるってことは
とても強くなきゃ出来ないだろうな、と思う。
強くなりたい。
そして
知らない100人の誰かに優しい人と言われるよりも
本当に大切な一人の人に優しく出来たらいいな。

若いって・・・。

日本という国は
若さを重要にとらえがちなお国柄だとも思いますが、
まわりを見渡しても「若いね」と言われて
怒るヒトは少ないですね。
これが子ども相手だったら反論のひとつも返ってくるかな?
若いと言われて喜ぶこと自体が若くないって証明なのかもねぇ。

が、しかし。
若いという言葉にはイロイロな意味が込められてることがあって
素直には喜んではイケナイのであ~る。

まずは「若い=おばかさん」のバアイ。
これは解りやすい。
一番使われやすいパターンでもある。
イイトシしていつまでそんなことやってんのさ?
とは言えない間柄なんかに使われます(笑)

つぎに「若い=びんぼ~くさい」のバアイ。
ファッションなんかで言われやすいですね。
垢抜けないのねぇ、とも言えない時なんかに・・・。
まぁ、チープが許されるのはワカモノの特権ですから。

あとは「若い=世間知らず」のバアイなんかもありますね。
そんなことも知らないで恥ずかしくないの?
とも言えない時に「若い」と言い換えるワケですね。

他にもたくさんあるんだろうけどさ。
ただ僻み交じりで若さを批判したいだけですね・・・。


年を取ることがイケナイコトならば
人はそもそも生きる意味がない。
なのにワタシは年齢を言えない。
重ねた年の数に見合った経験や成長をしていないので
きっと恥ずかしいのね。

ウソツキ

いじめられた過去もありますが
いじめた過去だってあります。
でも
いじめられた過去は鮮明ですが
いじめた過去は曖昧です。
いじめた過去は、たいしたことじゃなかったと
思い込んでるんでしょうね。
他人の痛みには鈍感です。
それは、過去に限らないかもしれませんね。
想像力が足りないのです。
自分の言動が他人に及ぼす影響力を軽く考えてるんですね。
そんなことで傷つくほうが悪いとでも思っているのでしょうか。
確かに過剰反応にうんざりすることも多いけど
出来れば無駄に他人を傷つけるようなことはしたくないんですがね。
人と関わるのは難しい。
お互いが楽しくいられるようにと考えるともっと大変です。
どうしても好きになれない人がいて
避けることでしか平静を保てない。
ウソツキの能力がまだまだ足りないね。